小説
怪異談 忠臣蔵
〜ゾンビが出てくるやつ〜
この作品はフィクションです。文中に出てくる名称と、実在の個人名、団体名とは一切関係がありません。
(連載3)
二 元禄ゾ●ビ事件
江戸近辺ではこの事件は初め、浅草あたりで「片耳の食人鬼が出た」という、化け物騒ぎから始まって、そいつを退治することに捕り方も集中したものだった。
が、化け物を捕らえてみると、行方不明になっていた、どこそこの薬売りの行商だということで急遽、狂人による殺人事件として、町奉行は対応を変える。
蓋を開けてみると、北のほうに行けば行くほど、同じような事例が見つかり「一体こりゃどうしたことだ。」ということになった。
その人喰い商人は、たいそう聞き分けがなく、対応に当たった役人や医師をやたらと次々に襲い、最終的に無礼討ちで殺された。
ただこの際、商人は体を斬られても斬られてもなかなか死なず、血みどろちんがいになりながら抵抗しては、担当役人をさんざんに手こずらせたと言う。
そしてその商人に襲われた者達も、やがて変異して、同じような症候を見せ、また別のものを襲った。
そうして次第に、被害はどんどん大きくなり、人口の多い江戸では大した騒ぎになっていく。
そもそもこの事件が蔓延した起因(おこり)についての正確な記録は無く、大きくふたつの説があった。
まずは元禄時代も初めの頃に、東北地方を襲った飢饉のために、飢えによって一部の者が、動物(やまい狗)の死肉を食べたがため広まった、風犬病のようなうつりやまいと言う説。
我邦古来の病気ではなく、犬の出処も唐だ朝鮮から渡ってきたものだとも言われたが、どこからが真実で伝説なのかはっきりしない。
初めこそ同時期に流行ったコロリの一種とまぎれて、間違って扱われていたが、「こっち」のほうは、病気とするには、あまりに人智を超えた奇異な事例ばかりが目立った。
多くの人々が納得したのは、これが「祟り」によるらしいという説。
とはいえ、果たしてなにによる祟りなのやら、とんと知れなかった。
いずれにせよ、手に負えないという点では、病気にせよ祟りにせよ、当時は陰陽の傷寒、あるいは流行性なので瘟疫(うんえき)による霊祀邪鬼、悪鬼のたぐいの災いとしておおざっぱに人々に受け止められ、恐れられた。
いっぽうで、このころ疫病によって何百、何千という単位で人死にがあるのは、特別珍しいことでもなかった。
一部の学者は、世の中が豊かになると「相伴ないて現れることが多い」と説いている。
咬傷らるる者は、百発百中で病魔に取り憑かれ、まずは朦朧として口数が減り、次第に脂汗をかき、息が荒くなり、呼びかけても返事をしなくなり、だんだんと白目が赤くなる。
次第に思考も人柄も、自我も無くなっていき、しまいには誰彼の見境なく、人に食いつく凶暴性を見せはじめ、獲物を求めてあてどなく「不眠不休」でフラフラと、あちこち嗅ぎ回りながら、いやしい有り様で徘徊をはじめる。
そして圧倒的に古来の病気と違うのが、歩きまわり始めた者達が、いっさいの苦痛を訴えないという容態(あんばい)だった。
先述の行商人のように、噛もうとした相手から激しい抵抗にあって、怪我を負ったとしても、出血などしながら平然としていられるのである。
「痛みがない」「死なない」となれば、あやかりたい「不老不死」のご利益を期待させるものであるが、これがいっこうにありがたがられなかった。
それというのも、やたらに食いつきたがる陋劣なみっともなさも含めて、そもそもその有り様があんまり不気味だからだった。
ねずみ色になった顔に、焦点の合わない血走った目玉をギョロギョロとさせて、敗れた腹から臓物を垂らして引きずって歩くさまは、どんな色男もべっぴんも、台無しなのだ。
「そうなってしまった」者達は初めのころ「犬憑き」と呼ばれたが、いじきたない貪婪さから「のら餓鬼」「餓鬼うさぎ」「食人木偶」「ぬけがら」と呼び名が乱暴になっていったが、もっとも通りが良かったのは
「のろま」
であった。
涅槃無我の境に入ったような、無意識状態のありさまを悪しざまに言ったのと、事件に対する脱力にも似た諦観も、あだ名に込められていた。
・たたりとして
ときが経つにつれ、のろま現象が病気ではなく、祟りであるという認識のほうが強まる。
それには、評判の定着を手伝った要因に、実はのろまには「脈がない」「いつの間にか、いったんは息を引き取っている」という、説明がつかない怪異現象が強く関わっていた。
人々は、これはどうやら「死なない」のではなく「とっくに死んでいる」…それが別のものに「変異して蘇っている」とささやいた。
憑依されたものはやがて魂が抜けてゆき、その抜け殻状態のむくろに、なにやら神変不思議なものが宿って、怪物通力を以って自在変化するものと評判になった。
「帰ってこないように」と、北まくらを避けたとて、効果は無かった。
やがて、これは疫病神、怨霊、魔物の仕業とうわさされるようになり、その魔物の正体は、どうやら「犬」の怨霊ではないか、という噂になる。
この噂が広まるのには、起因が犬なのではという噂があったり、憑依者の有り様が犬のようだったというほかに、間の悪いことに戌の年、戌の刻に生まれた五代将軍・徳川綱吉が、世継ぎに恵まれなかったことが、大きな追い風となる。
言うまでもなく干支の戌と、畜類の犬とは別なものであるが、将軍家の祈祷をまかなっていた隆光大僧正(狐狸の変化を見破るのが得意だと噂されている)が、事もあろうに犬が将軍家を祟っているであるとか、犬を保護するようにと助言したのだった。
これに将軍が従ったいきさつが、もともと西日本にあった、犬神伝説などと一緒くたに想起されて、なんとなく「犬」がいけないと、ちまたのうわさとして定着したのだ。
「将軍家が祟られている…」
「犬公方だ。犬公方だ」
助言を受けた綱吉は、動物に対する極端過度な保護条例を交付することになる。
そうすることが、快癒につながると信じたのだ。
将軍家の事情と、のろまのことは宿業、因縁と捉えるには妙に辻褄があって納得がいったし、そもそも疫病が神の祟りによるものと考え、恐怖することは、知識幼稚ないにしえの人々には、至極当然のことであった。
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〜解説〜
空前のパロディ小説。
「ゾンビ事件」というのは、起因がはっきりしないのが常でございまして、症状も、死ねばゾンビになるとか、噛まれなければゾンビが伝染らないとか、いろいろでございますな。
とにかく、いい加減なもんでございます。
で、ちょっと長かったんで、最初にアップした時よりも後半をカットして次に回しました。
今後ともご愛読をよろしくお願いします。
もりい